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100歳の少年と12通の手紙。くまのぬいぐるみに託されたもの [大五郎(ぬいぐるみ)日和]

『100才の少年と12通の手紙』
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腹話術の先生から教えていただいた作品です。

余命12日といわれた病気の少年と、ボランティアの女性との交流を軸に展開される物語。

そして、先生いわく

『作品にね、ちょっとだけ くまのぬいぐるみのエピソードが出てくるの!』

...とのこと。

ちょうど 大五郎(くまのぬいぐるみ)と一緒に 脳脊髄液減少症の闘病生活を送っていた私は心引かれて、原作の本を読みました。

この先は ネタバレになりますので 大丈夫な方だけ続きをどうぞ。


確かに、くまのぬいぐるみが出てきます。

ページにしたら 1ページほど。

普通に読んでいたら、そんなに心に残るエピソードではないかもしれません。
(これは、日々 人形と対話をしている先生だからこそ、着目できたシーンだとも感じました)

ですが、このシーンがとても温かく、共感を覚えるのです。

...淡々と語られる言葉。

『彼は衣装ダンスのなかにいるよ。』
『古いぬいぐるみで、もう目も鼻も口も無いんだ。体はぺしゃんこ、傷だらけ。』
『ちょっと あなたに似ているよ。』
『パパとママったら、僕が新しいぬいぐるみを貰ったら喜ぶとでも思ったのかな。』
『だったら、僕を新品の弟と交換すれば良かったのに。』
『あの日から、ベルナール(古いぬいぐるみ)は 僕の子供になったんだ。』
『あなたも 僕の養子にしてあげる。そうすれば安心でしょ?』

このぬいぐるみは、彼自身であると同時に
彼にとっては『守るべき、弱い存在』でもあるのだと分かります。

ぬいぐるみの存在に慰めてもらうのではなく
自分が慰めてあげたい。守ってあげたい。

周囲の人に してもらうばかりではなくて
自分もなにかをしてあげたい、という純粋な意欲。

そういう心情を ぬいぐるみの存在が、表現してくれていると感じました。

本の中で、ぬいぐるみについて出てくるのは このシーンだけです。

ラストに、少年の最期についての描写が こんな風に綴られています。

『あの子は今朝、私とあの子の両親がコーヒーを飲みに行ったほんの30分の間に息を引き取りました。一人で逝ったのです。あの子は私たちを悲しませないよう、その時を待っていたのだと思います。あの子の死を看取るという残酷な思いを味わわせたくなかったかのように。』

...おそらく、
少年の最期を看取ったのは ベルナール(くまのぬいぐるみ)であったのだろうと
私は想像しました。

親に...ではなく、子供に看取られるのが自然な順番ですし。
そして...ぬいぐるみには 命はありません。

ぬいぐるみは『物』なのです。

だからこそ、『死を看取る』という役割も
安心してベルナールに託すことが出来た。


そんな気がしました。。。

追記
映画版でも、ぬいぐるみの存在にハッとさせられるシーンがありました。
後日、改めて 感想を書こうと思います。

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